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気力>体力 [雑感]

もう何年も前、ノートに、
読んだ本の抜き書きをしていたことがあって、
それが机の奥から出てきたのでめくってみたら、
本ではないけれど、家元談志が、なくなる何年か前、
神奈川かどこかでの独演会で、
ふと話しだしたことをメモっていた。

そこにある「気力」という言葉が、ずしりとくる今日このごろ。
死ぬことが、生きることより近い人間にとって、
「気力」は「体力」以上に、生物を生かす力になる。


人間ってのは「帰属」しなくちゃいられない。
ナニが好き、ナニを信じる、ナニナニ派だって、
何かに属さないと不安でしかたない。
犯罪者がいれば、オカシイといって一斉に叩く。
常識に属せば安心する。
でも、本当はそんなもの何にもない。
落語は、本当は何にもないことを知っている。
落語やっている奴らは知らないだろうが、
落語自体はそれを知っている。
だから落語を信頼している。
落語だけが、
俺の最後の気力の対象になりうるだろうって思うんです。
落語だけが芸術。


余談だけど私は最近、
ここに出てくる落語を、
「自然」のことだと感じている。
それは「阿弥陀」のもつ本来の意味と、
多分、同じだろうと思っているんだけどさ。
084 グリーン 0814
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スケッチ [雑感]

角入りきらなかった……
こんばんは、ニホンジカです。毛皮と目玉がはいった。また角が入りきらなかった。

最近、毎日絵を描いている。
森へ行くと、糞や食痕、研ぎ跡、足跡を探したり、
死んだ動物の骨を拾ったり。
でもなかなかご本人には出会えない。
写真や映像で見ていても、何か遠い感じがしていた。
あることがきっかけで絵をかき始めたら、
見るより近くなれるように思えて、楽しくなり、
とまらなくなった。
森にいる動物を描こうと、テンやイタチ、
タヌキ、キツネ、ハクビシンなどの食肉類を描いて、
今、偶蹄類を描いている。
偶蹄類は食肉類よりもずっと難しい。
苦戦しながらシカを描き続けた。
ニホンジカはずんぐりむっくり。
こんどは、ちゃんとニホンジカになった!
ニホンジカ〜
見返りニホンジカ。
ニホンジカ

写真の通りに描こうとすると、うまくいかない。
骨格標本を見て、比率通りにしてもうまくいかない。
写真はその個体でしかない。
種としてのスタンダードがあって、
それをもってその種に見える。
やっぱり森のなかでニホンジカを
見ることが一番重要なんだろうな。
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母乳の悔しさ [雑感]

藤圭子さんのことについて、
藤原新也氏が書いていた。
藤圭子とその時代、そして今。(Cat Walkより転載)
ヒッキーの「母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です」の言葉とだぶる。

どんな人も親は選べない。
育てられ方も選べない。
選べない時代に自分のコアができて、
嗜好と思考の基礎ができてしまう。
チンパンジー親子 Pan troglodytes
当たり前のことなのだが、
ひどく悔しいことだと思えてならない。
母乳でつながる哺乳類の悔しさよ。
昆虫ならこんなことないのにな。

過去と他人のせいにしないで、
今の自分を発見することが人生だとしたら、
やっぱり人生はひとりきりの修行なんだろうな。

ヒッキーの声が大好きだ。
業の深い声をしている。

人のために歌わなくてもいいんじゃないか。
人を喜ばせなくたっていい。
もう何かの要求に応えなくていい。
期限をつくらなくてもいい。
何も課せないでもいい。

ヒトは社会的動物だが、
なんか社会的が強すぎる。

ひとりそのままで生きる、それがたいそう難しい。
チンパンジー ルイ
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ポワンカレに挑む絶滅カエルの冒険家 [雑感]

こないだ途中からこの番組を見たのだけど、
すごく面白かった。
ポアンカレ予想に取り組んだ数学者たちの話。


ポアンカレ予想・100年の格闘 ~数学者はキノコ狩りの夢を見る~ [DVD]




タイトルがくすぐる。
ポアンカレ予想を証明した
グレゴリ・ベレリマン博士の趣味が
キノコ狩りなんだそうだ。

この博士は、少年時代は笑顔の少年と記憶されるほど、
頭脳明晰、明るい天才少年だった。
ポアンカレ予想にはまって、
この難問を解いた後、社会と断絶する。

このドキュメンタリーの最後、
幼い頃の恩師が、
もう一度社会とかかわるべきだと、
博士の自宅をつきとめて、
諭しに行くのだが、断固拒否される。
会うことすらかなわなかった。

ソレを見ていて、
釈迦の梵天勧請を思い出してしまった。
釈迦が悟りを開いたあと、
こんなこと話しても
到底わかってもらえないからもういいやと思っていたところに、
梵天様がやってきて、
そんなこと言わずにその教えを人々に広めなさいよ、
と促すお話だ。

僧侶の南直哉氏が、
評論家・宮崎哲弥氏との対談のなかで、
こんなことを言っていた。

釈迦は35歳で悟りを開き、
たぶん死のうと思ったんじゃないかって。
それでまあ、梵天勧請を受けて、
語り始めるのだけど、
80歳で亡くなるまでの間、
釈迦にとって生きることは
「苦」でしかなかっただろう、と。


宮崎哲弥 仏教教理問答




博士が社会に参加すべきだと、
恩師は強く訴えていたけど、
それを見ながら、
この恩師が、自分の主張を
全肯定できるのは何故なのかと考えてしまった。
正直よくわからない。

それはさておき、
決して語られない知恵や知識が、
どこにも公開されず
誰かの脳みその中だけに埋まっている。
そして世界中に点在している、かもしれない。

博士が論文を最初に発表したのはネット上だったそうだ。
誰かがソレを見つけ、検証をはじめた。

絶滅したと思われているカエルが、
え、道端にいるじゃん!
というのに似たドキドキ感がある。
生きた化石、パレスチナイロワケガエル
ニホンカワウソも
ニホンオオカミもいるんじゃないか!?
ツチノコだっているかもよ、というのに似ている。

だけどヒトに認識されて、共有されなかったら、
その真実はこの世になかったことと同じ、
でもある。

だからヒトは探すんだろうが、
同時に探して見つからないことが、
ゴマンとあればいいとも思う。

博士は、噂によると、
次の難問に挑んでいるそうだ。
数学者っていうのは、
冒険家みたいなものだな。

そして冒険っていうのは、
もっともヒトらしい行動なんだろうなぁ。

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