ご年配カモシカ [森]
朝。森の遊歩道に猿の落し物。
猿だし、と思いつつ、なにを食べてるのかが気になって、しゃがんで計測していた。
雨降りで、ハイカーズもこない静かな静かな森……ん? なんとなく気配を感じてゆっくり見上げたら、カモシカがジーっと私のほうを見ていた。去年出会ったあのカモシカだ(角のウネウネが同じ)。
お互いフェンスを挟んでいるから、数メートルしかないのに妙な安心感。
写真撮ったり、草を食んだり。
カモシカはシカより高いところにいるのに、この個体はおじいさんなのかおばあさんなのかわからないけど、はじかれてシカのいる地に降りてきたようだ。
ここで過ごすことに慣れたのか、このときも私にお尻を向けて草を食べていた。食べ物も豊富で暖かいし、ご年配にはよいのかも。
シカはこのカモシカのことどう思っているのかなあ。またあえるといいなあ。
猿の落し物からアケビ [森]
実りの秋。猿の落し物に黒いタネ。
歩いていたら食い散らかしたアケビの実がゴロンゴロン。タネはアケビだった。
実は保存できないからスケッチ。
アケビはアケビなんだと思っていたらアケビには三種類あるんだって。
普通のアケビと、乾燥した荒地に育つミツバアケビ。
両者が交雑してできたゴヨウアケビ。ゴヨウアケビは実がならない。
ほかにそっくりな実がなるムベ。こちらはムベ属なんだって。
知ってるような気がしていたアケビだが、知らないことばっかり。
アケビとミツバアケビは葉の形が違い過ぎて、わからない。
猿は欲張りも多く、食べ過ぎておなかをこわしたらしい落としものも多かった。
敬老の日のプレゼントにぬり絵を
山伏として森を歩く [森]
山伏になってみたいと思い、一年が過ぎ、今年3日間の修行を受けることができた。
僧侶の愚弟に、山伏修行に出羽三山に行くよ、とLINEすると、あらあなた死にに行くのね、と言われ、行があけて鶴岡についたと連絡すると、死んで生き返った? とLINEが来た。
全くもってそのような経験だった。
大聖坊、羽黒山伏星野先達の元で受けさせていただいたのだが、先達の姿、動き、言葉は説得力しかなく、行を積んだ者だけが持つ強さを感じた。
羽黒山伏は、出羽三山を歩き、山に祈りを捧げる。山は神でもあり仏でもある。神仏習合、歩いては御神体を前に祝詞と般若心経を詠みあげる。
修行では、即今当初自己。今、今、今に追い込まれる。今への状況判断を繰り返し肉体を駆使する。
月山、湯殿山、山駆けでは、雨に濡れた大小の石が傾斜に連なる山道、羽黒山では2500段の石段、先達のあとを30名ずんずん歩く。踏み出すひと足を間違えれば転げ落ちる。先を見れば気が遠のく。来た道を振り返る余力もない。足元だけに注意を払い、金剛杖と足先に力を込める。みんなが、みんなで歩いている。もうやめるわけにいかず、足を踏み出すしかない。
限界だ、というタイミングで先達の鈴の音が止む。小休止、の声。
疲れ切った脚を休めるとき、ようやく顔を上げ、周りを見渡す余裕が生まれる。風が頬を撫でる。音が聴こえ、匂いを感じる。そのとき、やっと自分がいた場所に気づき圧倒される。
空っぽの頭でポカンと見上げると、森と空が迫ってくる。五感は開ききり、情報がいっせいに等価に注がれる。風に大きく揺れる樹と螺旋を描いて落ちる一枚の葉、滝壺に注がれる水の轟音と遠くで響くキツツキのドラミング、たな引く雲と眼前を横切る蟻。
全体と細部が同時に見えたとき、まるで自分が山の中に溶けて消えていくような感覚に陥る。
修行中は、うけたもう、という言葉以外発してはいけない。みんなで、しかし各々に山をうけたまう。
うけてうけてうけ続けた後に、勝手に内から湧いてくるものがある。ああなるほど、これが山への祈りの始まりなのかなと思った。
山で人は野生に戻る。そして野生にはない、人だからこそのこの感覚に出会う。山を尊ぶ感情が、声を合わせて詠みあげる祝詞と般若心経に繋がる。
知りたいことがたくさんあったのだが、追いつかないくらい色々なことがあった。全身ひどい筋肉痛で、四十肩の激痛を忘れるほどだ。
ただ、やってみたいことはやったほうがいいね。湧いてきたものは、頭でおさえないほうがいい。
おかげで色々と腑に落ちた、3日間だった。
ちなみに、写真の葉っぱは、ムササビの食痕。三山の道道にたくさんたくさん落ちていた。金剛杖をつきながらも葉を見るにつけ、樹洞から顔を出したムササビたちに笑われているような気がして、転ばないようにしなきゃと踏ん張れた。
後で知ったのだが、一説にムササビは天狗のモデルだそうだ。なんだ、ムササビ、山伏だったのか……。
夏のアオゲラ [森]
丹頂鶴の頭はなぜ赤い? [森]
最近、整骨院に通っているのだが、1時間あるのでいろいろな話をする。この前先生が、僕が最近驚いたのは丹頂鶴の頭には毛(羽毛)がないことです、禿げてるんですよー、と。頭頂部は肉瘤で、要は鶏のトサカの短いやつなのだが、そうとは知らずにアップで見るとややグロい。
まあグロいのはいいとして、なんで赤いのかなあ。
赤は血液の色で、興奮するとさらに赤くなる。性成熟してから赤くなるそうだから、繁殖に関係してるんだろうか。でも鶏のトサカはオスが大きくてメスが小さい。丹頂鶴はオスメス同じで外見では見分けがつかない。
じゃあ脳みそを冷やすラジエーターなのかな……丹頂鶴って怒りっぽいのだろうか。
鳥類学者の川上和人先生の本に、アカポッホ、アカガシラカラスバトの頭の色の話が載っていた。アカガシラカラスバトの頭が赤いのは、結果近縁の絶滅した黒い鳩と形態的な差別化に至っていたんだろう、とあった。ズアカアオバトという鳥は、台湾にいるものの頭は赤いのに、沖縄のものは赤くない。これは台湾にはアオバトがいて、沖縄にはいないことが関係している、と。丹頂鶴も他種との間の目印として赤くなったりしたのかしら。ん、鶴の祖先はどんな鳥なのかなあ。気になって仕方ない。
ってな話を、今週の施術の際にしたところ、先生はかなりドン引き。すみません、そんな悩ませるつもりじゃなかったんです、ごめんなさい、と何故か謝られた。
鶴のこと考えていたら、数年前に行ったハノイの動物園のことを思い出した。上野動物園から寄贈された丹頂鶴が2羽いた。ベトナムの人は鳥を愛でるのもたべるのも大好きなようで、街中に愛鳥なのか家禽なのかよくわからない鳥たちがたくさんいた。わお、ハノイの動物園に日本から鶴きてるのか、と感慨深く見ていたら、みんな投げる投げる。スナック菓子を投げまくっていて衝撃的だった。
丹頂鶴は雑食で昆虫、甲殻類、貝類、魚類、鳥類やネズミ、山菜やら木の芽、果実まで幅広いんだって。スナックを上手にキャッチするハノイの丹頂鶴たちは、さすが雑食、土地に順応して食性を広げていたんだなあ。にしても、なんで赤いんだろう。どっかに載ってないかなあ。
犬に求めるもの、猫に求めるもの [飼いネコ]
老猫と床暖 [飼いネコ]
気力>体力 [雑感]
読んだ本の抜き書きをしていたことがあって、
それが机の奥から出てきたのでめくってみたら、
本ではないけれど、家元談志が、なくなる何年か前、
神奈川かどこかでの独演会で、
ふと話しだしたことをメモっていた。
そこにある「気力」という言葉が、ずしりとくる今日このごろ。
死ぬことが、生きることより近い人間にとって、
「気力」は「体力」以上に、生物を生かす力になる。
人間ってのは「帰属」しなくちゃいられない。
ナニが好き、ナニを信じる、ナニナニ派だって、
何かに属さないと不安でしかたない。
犯罪者がいれば、オカシイといって一斉に叩く。
常識に属せば安心する。
でも、本当はそんなもの何にもない。
落語は、本当は何にもないことを知っている。
落語やっている奴らは知らないだろうが、
落語自体はそれを知っている。
だから落語を信頼している。
落語だけが、
俺の最後の気力の対象になりうるだろうって思うんです。
落語だけが芸術。
余談だけど私は最近、
ここに出てくる落語を、
「自然」のことだと感じている。
それは「阿弥陀」のもつ本来の意味と、
多分、同じだろうと思っているんだけどさ。
妖艶なオオゲジの心はどこに [その他の生き物]
ムカデやヤスデについて勉強していて、
脱皮直後のムカデの頭部を写真を見せてくれた。
ムカデは脱皮の後に、脱皮殻を食べるのだという。
節足動物はみんなそうなのか知りたかった。
ボトルで飼っているヌマエビたちは、
自分の脱皮殻を自分で食べている。
検索してみるとムカデやヤスデ、ザリガニ、ダンゴムシなど、
脱皮殻を食べてしまうそうだ。
ザリガニついては研究が進んでいるようで、いろいろな文献が出てきた。
ザリガニは脱皮するときに、
胃の中にカルシウム玉のような胃石をつくる。
体内のカルシウムをここに集めることで、
殻を脱ぎやすくするのだ。
脱皮後にはこの胃石が溶ける。
それで脱いだばかりのやわらかい殻が硬くなる。
そして、胃石の補助的に
脱皮殻を食べてカルシウムを増強するのだ、と。
ザリガニ本人がそれを自覚しているとは考えにくいので、
目の前にあるものを食べたものが、生き残る率が高くなっただけだろう、
というのが、森の仲間たちの見解だ。
そんな話をしているときに、
オオゲジの脱皮に遭遇したその友人が、
トンネルの天井にiPhoneを掲げながら、
30分以上それを実況中継してくれた。
もともと節足動物、なかでもムカデやゲジのたぐいは
苦手だったのだが、脱ぎたての殻のコバルトブルーの輝き、
細い脚1本1本の抜け殻の美しさ、
そして脱いだあとに
その脚をていねいにていねいになめとる姿にうっとりした。
神秘だと思った。
彼らの脳の話になり、脳はどこにあるのだろう、と。
脊椎動物は脳がひとつに集中している。
しかし節足動物は「はしご状神経」という神経回路を持ち、
体節ごとに神経系を形成する。
いわば偏在する脳。
そういえば、と思い出したのがこの本だった。
ダンゴムシに心はあるのか (PHPサイエンス・ワールド新書)
- 作者: 森山 徹
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2011/03/19
- メディア: 新書
以前買って、積ん読していたものだった。
はてさて、節足動物に心はあるのだろうか?
オオゲジが脚を舐める妖艶な姿に、
心を感じずにはいられないのだが。